8月15日土曜日の夜に、1本の電話が・・・妹からの電話でした。
妹は関西で暮らしているのですが、お盆ということで、両親へ電話をしたのです。
ちなみに両親は、福岡に住んでいます。
妹が電話をしたところ、どうも母親がすごく疲れていて、記憶もところどころ切れ切れになっており、衰弱しているというのです。急に痴呆が出てきたようです。
一度、見に行ってほしいという連絡でした。
私もとりあえず、すぐに電話してみましたが、妹の言うとおりに、電話での会話がうまくかみ合いません。
これはまずいと思い、明日16日(日曜日)は、お店を閉めていくことにしました。
大分~福岡はJRを使えば2時間程度で、行くことができるので、近いといえば近いのでしょう。
朝早くに出発しました。
本来であれば帰省ラッシュの真っただ中の8月16日ですが、やっぱりコロナの影響で、電車の中はガラガラです。
電車に揺られ、実家に到着しました。
さっそく母親に会ってみたところ、ベッドで、きつそうに横になっています。
最初は、こちらもただの疲れからくる痴呆かなと思っていたので、それほど、事を重大だとは、思っていませんでした。
父親にいろいろ話を聞くと11日に体がきつそうなので、近くの内科病院に連れて行き、熱中症かもしれないという診断は、受けていたそうです。その後、翌日12日には、肩や首が痛いというので、整骨院にもつれていったそうです。
その後はお盆となり、二人で、過ごしていたようです。
私が、久住は涼しくて過ごしやすいよ、などど話していると、「今から久住に行こう」などど、今までは、そのような積極的な会話をしたこともなかったのに、急にそんなことを言ってきたりします。
こちらとしても、それで気分が良くなるのであれば、と思い、いったんはその気になりましたが、一応妹にも状況を説明しておこうと思い、電話を掛けました。
そこで、妹が言うには、大変な事態になっているかもしれないので、「一度、しっかりと病院で診てもらった方がいいよ」ということを助言されました。
本人は、元気というし、病院には行きたくないと言い張ります。それもそのはず、以前に2度のガンによる大手術を受けており、また入院をしなければならないのがいやなのです。
しかし、私もわざわざ仕事を休んで、福岡まで来たので、何もせずに帰るというわけには、行きません。
さっそく日曜日でも診察をしてくれる、病院を探し、診療してもらうことに予定を変更しました。
近くのわりと大きな病院が、休日もやっているということで、そこへ連れていくことに。
病院では、症状を話したところすぐに頭の画像を撮ることになりました。その結果、頭の中に、腫瘍があることが判明し、ひょっとしてガンの転移かもしれないということでした。その後造影剤をいれて、再度MRIとCTの撮影をし、詳しく見てみると、髄液が左右脳室の下にある第3脳室というところに腫瘍があることがわかりました。
この場所は、頭のほぼど真ん中です。
この病院では、とりあえず、ここまでの診断をしていただき、今後は、本人の希望もあり母親が以前ガンの治療でお世話になったもっと大きな病院でもう一度詳しく見てもらうことにしました。
その日は、いったん家に帰り、明日、その大病院での診察を受けるようにします。
ガンの転移と聞いたときは、母親もかなりショックを受けていたようですが、その後痴呆の症状が、どんどん進み、同じことを何度も言うようになったり、人の名前を間違えたり、来てもない孫が昨日遊びに来たとか、もう記憶がめちゃくちゃになってきています。
母親が、私の妻にすごく会いたがっていたので(何度も会いたい会いたいと繰り返すので)急いで私の妻にも来てもらい、状況も説明しました。その日は、私が実家に泊まることにし翌日の検診の準備をします。
しかし、その病院の診察券がどこにあるのかもわからなければ、何もかもがどこにあるのか覚えていないのです。
ひとしきり、探して診察券を見つけて、その日は、寝ることに。
私のお客様用の布団もどこに片づけたのかも覚えていませんでした。
同じことを何度も聞くし、会話がつながらないので、相手をするのも疲れます。
私は、ヘルプで来ているので、まだいいのですが、ずっと一緒にいる父親のことを考えると、早く何とかしなければと思います。
これが、8月15日から16日にかけての出来事です。
続く・・・・
前回からの続きです。
様子がおかしいという母親に会いに行ったのですが、その日に早速、近くの病院に行ってきました。それが8月16日の日曜日です。
翌日17日に、さらに大きな病院へ。この病院では、以前は母親が、がんの手術をしていたこともあり、かなりのデータもあるので安心してお任せすることもできます。
がんの手術をした時は、首から下の画像は撮っていたのですが、首から上、頭の画像は撮っていませんでした。
したがって、今回の頭の腫瘍が、以前はどうだったのかを知ることはできません。この1週間で大きくなったものなのか、それとも数十年をかけて大きくなったものかは、わからないのです。
大きな病院では、前回の病院とは、雲泥の差ほど先生の質が違うことが、すぐにわかりました。
大きな病院では、病気の説明もそうなのですが、人間的にもとても好感の持てる先生で、一生懸命に病状について説明をしてくれます。
最初に言った前の病院では、脳に腫瘍のようなものが見えた時に、即「これはがんの転移ですね」と言われました。その先生は、若くてきれいな先生だったのですが、この一言は、母親にとっても身内にとっても衝撃的な一言でした。例え、腫瘍ががんだったとしても、転移のがんと新たながんの違いは、とても差があります。転移ならばショックは大きく、新たながんであれば、しょうがないと思います。
それを画像を見ただけで、これは転移ですと何気なく言われると、患者本人がすごくショックを受けていました。
こちらの大きな病院で聞くと、首から下のがんが頭にくる確率は、かなり少ないとのことで、それが頭の画像を撮らなかった要因のひとつにもなっているようです。
最初の病院では、その若い女性の先生の後に脳外科の先生が対応してくれたのですが、この先生もとても愛想がなく、もうこの先生にいろいろ聞いても無駄だなと思わせるような先生でした。
最初のとっかかりとしては、最初の病院にはとても感謝はしていますが、その後この病院で治療してもらわなくて本当に良かったと、その後の大きな病院を受診して思いました。
こちらの大きな病院では、前回の病院で撮影した画像をもとに、丁寧に病状を説明してくれ、今後の治療方針も示してくれました。説明だけでも多くの時間をとっていただき感謝しております。
まずは腫瘍の細胞の採取と腫瘍による脳の水の流れがせき止められているので、その水による水頭症を改善させるための処置をした方がいいという事でした。
大きな病院の診断では、腫瘍が頭の中心にあるので、さらに大きな病院、大学病院に行くことをすすめられました。設備もスタッフもそろっている、大学病院を紹介されました。
この病院では手術が無理な理由と大学病院を紹介される理由も丁寧に説明され、大学病院の担当の先生にも直接お願いをしてくれて、現在の母親の状況を丁寧に伝えてくれました。
母親の病状は、日々悪くなるばかりで、排尿、排便も人の手を借りなければならない状態にまでなってきました。話はできますが、会話は全く成り立ちません。
父親と私のほかにも妹もヘルプに駆けつけてくれましたが、1人の病人に対して3人でようやく介護ができる状態です。
介護がこれほど大変なものだとは正直思ってもみませんでした。
病人本人が意識がない状態で、見返りのない介護は、本当につらいです。
歩いている時も、こけたり倒れたりするので、常に補助が必要ですし、トイレの管理も早め早めにしておかないと大変なことになります。
マンツーマンの介護なんてとても無理です。病人一人に最低でも二人は必要ですね。
でも、これ、やったことが無ければ、この大変さは、わからないと思います。私もたった2,3日ですが、逃げて帰りたいくらいです。
今回は、妹も来てくれたのですごく助かっています。
次回は、大学病院へ行くお話をしますね。
続く・・・
母親が、急に認知が進み2週間ほどが過ぎようとしています。
この間、大分~北九州を行ったり来たりしていると、曜日の感覚もなくなってきます。
8月25日(火)の午後より、麻酔科の先生と執刀される先生と、続けて手術の説明および注意点のお話を聞くために、再度病院を訪れました。
麻酔に関しては、母親は今まで何度も大きな手術を受けてきたので、同じような注意事項を説明していただきました。
ただ、麻酔といっても死に至る場合もあるので、毎回同じ説明を聞くのですが、ドキドキします。
麻酔科の先生の説明に引き続き、執刀を担当される先生からのお話もありました。
予定通り、水頭症を軽減するために、一部側脳室に穴をあけて、脳の中にたまった水を出してあげることと、脳の中の水の流れをせき止めている脳腫瘍の一部摘出手術をします。
手術時間は、3~4時間くらいとのことです。
側脳室に穴をあける際、近くに太い血管があるので、ひょっとして、穴をあけれない場合もあるかもしれないとのお話もありました。
手術後は、脳腫瘍の周りのむくみをとるためのステロイドの投与も開始するそうです。
説明を一通り聞き、翌日は、どこで待機をしておけばよいかを聞いたところ、コロナの心配もあるので、病院での待機ではなく、自宅での待機で大丈夫ということでした。
手術の開始時と終了時に電話をいただけるそうです。
待つ身としては、病院ではなく家の方がリラックスできるので、よかったと思いました。
そして手術の日、予定通り開始の電話をいただき、そこから3時間ちょっと終了の電話を待ちました。
そして、終了の電話がかかってきました。
無事に穴をかけることもできたし、腫瘍も一部検査のために多少の出血はあったものの採ることができたということでした。
今後は、母親の回復を待ちます。
まずは、認知が回復してくれることを一番に願います。
わずか数日間といえ、認知があり、歩行も困難な人間を介護するのが、どれだけ大変なことか、身をもって経験したので、それだけでも回復してくれればと思います。
万が一のために、いつでも介護申請ができるよに用紙は記入をして準備しています。
手術が終わり、本人の病状を知りたくても、コロナの影響で面会ができないので、明日以降、父親に担当の看護師さんに様子を聞きに行ってもらおうと思っています。
次回は、手術で採った腫瘍が悪性なのか良性なのかのお知らせ日に、ブログを更新したいと思います。
脳の水を抜く手術を終えて、劇的に認知症が改善されればと思っていたのですが、それは今のところありません。
私は、大分に帰ってきたので、その後の病状確認は、父親に任せています。
病院に行ってもコロナの影響で、病室まで行くことができずに、母親の様子は看護師から伝えてもらうだけのようです。
そんな中、昨日は、看護師が気を利かせてくれて、遠くからですが母親の姿を見ることができたようです。
以前と変わりなく、見た目は、元気のようなのですが、相変わらず、意識には障害があるようです。
意識が戻ってきた基準のひとつとして、どうして今自分が入院しているのかがわからないとだめじゃないかな~と思います。
今のところなぜ入院しているのかわからないようなので、正常な意識には戻っていないのでしょう。
父親は、早速介護保険の申請に行ったそうです。
今後、母親が正常な意識に戻らなければ、介護は必須です。
手術が終わり、ちょうど1週間が経ちました。
水頭症の症状は、徐々に良くなり、脳内に溜まった水も流れるようになりました。
手術前のだるさや、目がとろ~んとした感じは、かなり改善し、シャッとしています。
面会はできないのですが、リハビリに行く途中など、病室を出ることが、何度かあるので、運が良ければ、その途中で会話をすることができます。
ちょうどその日もリハビリから帰る途中で、エレベーターホールで、少し話ができました。
意識ははっきりしていますが、いまだ少し健忘症が残っています。しかも、頭の腫瘍を小さくするためのステロイドの影響で、気分が少しハイになっており、興奮気味です。(ステロイドは、腫瘍を一時的ですがすごく小さくしてくれます)
自分の感じたこと、思ったことをそのまま言葉に出しています。
今だ、なぜ入院しているのかもわかっていません。
前日にも顔を見せたのに、そのことは覚えていません。
いったい、どのくらい記憶があって、いつからの記憶がなくなっているのか、こちらとしてもさっぱりわかりません。
あまり長く話していると、看護師さんからイエローカードが出されるので、数分程度の会話しかできませんでした。
まだ、立つこともできないし、意識はあるものの記憶がバラバラです。
さて、腫瘍の病理検査の結果ですが、「悪性のリンパ腫」ということでした。
血液のガンですね。
頭のど真ん中に悪性リンパ腫ができることはすごく珍しいそうです。
さっそく、その日のうちに、次の治療の説明があります。
外科的治療は終わったので、これからは内科の病棟へと移動し、化学療法を行うそうです。
いわゆる「抗がん剤」による治療です。
本人は、以前に2度ほど抗がん剤を経験しているので、その時の抗がん剤治療の苦しみから、今回また抗がん剤治療をするとなると、拒絶しかねません。
しかし、本人にはそのことを伝えたとしても、なんとも思わないかもしれないのですが、まだ伝えてはいません。
来週から、1回目の抗がん剤の投与を開始する予定です。
1回の投与に3週間から4週間ほどかかるそうです。その投与が終わると、次回の投与までのわずかな期間自宅に帰れるそうです。
早くても10月になってからの一時退院となります。
腫瘍が脳の中心部にあるために、少し濃度の濃い抗がん剤を投与するらしいのです。これにより、後日、正常な脳の部分まで影響が出ないとも限らないそうです。
抗がん剤の治療を、もし、しない場合は、「死」へ一直線らしいです。
なので、治療する以外には、今のところは選択肢はありません。
母親には、もう一度抗がん剤と戦ってもらうしかありません。
私たちもいろんなことで援助はしますが、今後は、本人の頑張り次第ですね。
今日から1週間は、抗がん剤投与のための検査が始まります。
本人には、手術はもうしなくてよくなったよと伝えると、喜んでいました。これからつらい抗がん剤治療が始まることも知らずに・・・かわいそうです。
介護保険の準備も着々と進んでいます。
次第に記憶も元通りになってきたような感じがします。
相変わらず面会はできないので、父親からの報告になります。
父親の報告によるとかなり水頭症による健忘症は無くなっており、普段通りの会話ができるようになったそうです。
そこで、スマホを持ってきてほしいという事なので、スマホをもっていくことに。
すると、母親から私に電話があり、久しぶりに会話をすることができました。
その声は、今までの正常の時の母親とほとんど変わりがなく、話の内容もはっきりとしていました。
今まで会話をしてもほとんど上の空のような会話だったことを考えると、本当にうれしいの一言です。
こうやってまた普通の会話を母親とできる日が来るとは、思ってなかったので、うれしかったです。
嬉しい一方、頭の中の腫瘍は、日々進行しています。
明日からいよいよ第1回目の抗がん剤の投与が始まるようです。
その準備のために、髪の毛が抜けた時のために、帽子を購入したようです。
母の体力が、抗がん剤(シリーズ全5回)およそ半年の間、耐えられるかという問題と、脳の中心に腫瘍があるので、そこまで抗がん剤が届くのかどうかという事です。
せっかく意識も戻り普通に会話ができるようになったのですが、抗がん剤治療を始めると、また意識がもうろうとしてくるのでしょう。
「お母さん頑張って!!」
なんとか腫瘍を取り除きましょう。
腰が痛いと言っていますが、どうやらその痛みは、健忘症の時に、ベッドに固定されていたためだと思われると看護師さんが言っていました。
本人は、全く覚えていないようですが・・・
現在は、入院しているのですが、そこでちょっとトラブルがありました。
なんと今、流行中のコロナウィルスに感染しているのではないかという疑いが、母親にかけられたのです。少し肺に影があるとのことなんです。
入院する前には、しっかりとPCR検査をして入院したにもかかわらず、今になって・・・という感じです。
ひょっとして、私たち身内が、県外から訪れたことで、コロナをうつしてしまったのかと、私まで、心配になります。
母親は急遽大部屋から個室へと隔離されました。
本人は、コロナの心配もあったのですが、個室に移動できたなので、いいような悪いようなという感じでした。
コロナの疑いに関しては、約1週間ほどで解消されました。今は大部屋に戻っています。
水頭症から解放され、すこしずつ元通りの意識になってはきているものの、やはり少し健忘症が残っています。
抗がん剤も投与されているので、その影響もあるのかもしれません。
抗がん剤といえば、大腸がんや肺がんの時も経験しているだけに、そのきつさをすごく警戒していた母親ですが、悪性リンパ腫の抗がん剤は、意外ときつくはないようです。(人によるでしょうが)
数値も良いようで、効いていると思われます。でもいつ悪性の細胞が大爆発するのかわからないので、少しでも悪性細胞が残っている間は、油断はできません。
とりあえず1クール目の投与が終了したので、数値が戻り次第、1回自宅へ帰れるそうです。
昨年の8月16日から続いた、母の病気の治療も終わろうとしています。
最後の抗がん剤投与も終了し、無事に退院しました。
抗がん剤は、前半5回、その後放射線治療をはさみ、その後に2回の治療を行いました。
抗がん剤を投与するたびに、血液中のいろんな数値が上下するので、その数値の結果を待っての入退院の繰り返しとなりました。
コロナの影響もあり、入院してしまうと、面会ができなかったために、看護師さんを通しての荷物のやり取りになっていました。
最初に病気になった時には、まさかここまで回復できるなんて思ってもいませんでした。
記憶障害や意識障害がひどかったうえに、体も弱っていたために、介護保険の申請をしたり、介護用品を購入したりと走り回りました。
そんな苦労も報われた感じです。
病院の先生がいうのに、ここまで回復するとは奇跡だということです。
今後、最後のMRIの検査があるようですが、それで何も異常がなければ、数か月に一度の通院でいいそうです。
いろんな人に感謝をしなければならないのですが、母の病気のおかげで、私も実家にちょくちょく行く回数が増えました。
今後も、伺わせていただきたいと思います。
